熊野神社について

ご由緒と祭神

ご由緒

熊野神社

本郷熊野神社は、社格元村社で東海市加木屋町宮ノ脇43番地に鎮座し、地元住民の郷土意識と深く結ばれた氏神さま、産土さまとして親しまれ、限りない信仰と崇敬を集めている。
その創建は詳かではないが、古文書により神社の沿革は知ることができる。
その記録によれば、永禄三年(1560年)桶狭間の合戦で織田信長に敗れた今川義元の家臣であった久野清兵衛(二代目)宗政が、駿州(今の静岡県)久能山を出てから、縁あって加木屋の住人になったのであるが、久能山を出る時、所持していた弥陀・薬師・観音の三尊の内、観音を氏神の御神体とした。これは久野清兵衛の家屋の戊亥(北西)の方向に永禄年中に宗政が寄進した氏神本社があったので、この氏神の御神体としたものと思われる。

不断の桜

宗政は弟祐長を社人(神主)とし、屋敷内にあった氏神御本社を宝永年中(1705年頃)に北の杜へ移り奉り、御除地に願い熊野三社と崇め奉った。
昭和の頃、古宮の跡に不断桜が残っていたので、これもまた境内に移し植えた。その後も久野清兵衛家八代目清平義治は、神学を好み蟇目相傳冊一巻を即共神功皇后御弓の写しと併せ、神道書記等、我農家にいらぬ物であるからと、宝歴の頃上の社内へ奉納して、今氏神の重宝となっていると記述されている。
この古文書によっても熊野から勧請したという記述は見当たらず、後年役所への届出書にも総ての社名御祭神などは報告されているが勧請の年月は解らないとして報告されている。
然し熊野権現の造営とか熊野三社と崇め奉るとあるし「熊野三社宮」の社名額が現存しているので、紀州(今の和歌山県)熊野から勧請されたものであると考えられる。

ご祭神

本社

速玉男命(はやたまのをみこと)

厄除けの神 伊弉諾命が、黄泉から帰る際に誓いをたて唾を吐いた時に生まれました。
唾に潜んでいる霊魂が化生した神様で、
穢れを祓う神様なので厄祓いの神様として知られています。
「ハヤ」は美称の「速」、「タマ」は魂・玉とされ、みなぎる生命力を表します。
伊弉冉命(いざなみのみこと) 生命の祖神、五穀豊穣、家内安全、工事安全 日本国土をお造りになられた事にあやかり伊弉冉命は、五穀豊穣・家内安全など、
また建築関係者に広く信仰されています。また伊弉冉命は、自然現象を象徴する神々(火の神・土の神・水の神・製鉄の神など)をお生みになられたことから、生命の祖神とされています。
これら自然現象に保有される固有のご神徳は、すべて母なる大地の神としての伊弉冉命の
神徳とも言われております。
事解男命(ことさかのをみこと) 悪縁切り、学問の神 「解(サカ)」は「離(サカ)」とされ、様々な物事から離れる(離縁)ということから悪縁切りの神様として知られます。
また、「解」は、解する(判断する・理解する)の意とされ様々な物事を理解する学問の神様としても知られます。
境内末社
香良洲神社 祭神 稚日女命(わかひるめのみこと) 女性の守護神

多賀社 祭神 伊邪那岐命・伊邪那美命(いざなぎのみこと・いざなみのみこと)

生命の祖神・延命長寿の神
津島社 祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと) 疫病除の守護神
山神社 祭神 大山衹神(おおやまつみのかみ)  農耕・海上交通の守護神
御嶽社 祭神 大己貴命(おおなむちのみこと) 病気、災害除の神・福の神
御嶽社 祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと) 医療・医薬、酒造の神

愛宕社 祭神 軻遇突智命(かぐつちのみこと)

農耕の守護神・防火、鎮火の神

八咫烏について

八咫烏

神武東征の折、皇軍が熊野の中で進路を見失ったとき、一行の前に鳥が現れ、道案内をしたと言われる八咫烏。
何かお困りの際は、東海市熊野神社にお越しいただき、八咫烏を見つけてみませんか。
きっと人生の道案内をしてくれることでしょう。

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