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挨拶

鉄と洋蘭の町、東海市の中ほどに位置し樹木の茂る自然豊かな森を背に、四百年以上の歴史を刻む熊野神社。
「古事記」にもあるようにイザナギノミコトとイザナミノミコトによって国が造られた古来より、人は自然から生命力をもらって生きてきました。
そして森に包まれたこの熊野神社も、多くの人々に安らぎを与える空間となっています。
これからも熊野神社は、神様と人々の橋渡しの場であり続けることでしょう。宮司である私自身も、古の昔から日本人の心に息づく思いやりや慎み深さを大切に神の道にありたいと存じます。

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御由緒

本郷熊野神社は、社格元村社で東海市加木屋町宮ノ脇43番地に鎮座し、地元住民の郷土意識と深く結ばれた氏神さま、産土さまとして親しまれ、限りない信仰と崇敬を集めている。
その創建は詳かではないが、古文書により神社の沿革は知ることができる。その記録によれば、永禄三年(1560年)桶狭間の合戦で織田信長に敗れた今川義元の家臣であった久野清兵衛(二代目)宗政が、駿州(今の静岡県)久能山を出てから、縁あって加木屋の住人になったのであるが、久能山を出る時、所持していた弥陀・薬師・観音の三尊の内、観音を氏神の御神体とした。これは久野清兵衛の家屋の戊亥(北西)の方向に永禄年中に宗政が寄進した氏神本社があったので、この氏神の御神体としたものと思われる。

宗政は弟祐長を社人(神主)とし、屋敷内にあった氏神御本社を宝永年中(1705年頃)に北の杜へ移り奉り、御除地に願い熊野三社と崇め奉った。
昭和の頃、古宮の跡に不断桜が残っていたので、これもまた境内に移し植えた。その後も久野清兵衛家八代目清平義治は、神学を好み蟇目相傳冊一巻を即共神功皇后御弓の写しと併せ、神道書記等、我農家にいらぬ物であるからと、宝歴の頃上の社内へ奉納して、今氏神の重宝となっていると記述されている。
この古文書によっても熊野から勧請したという記述は見当たらず、後年役所への届出書にも総ての社名御祭神などは報告されているが勧請の年月は解らないとして報告されている。
然し熊野権現の造営とか熊野三社と崇め奉るとあるし「熊野三社宮」の社名額が現存しているので、紀州(今の和歌山県)熊野から勧請されたものであると考えられる。

 

御神祭

●本社


 速玉之男命(はやたまのおみこと)生命の祖神・延命長寿の神・家内安全、厄除けの神

 伊邪弉冉命(いざなみのみこと)生命の祖神・延命長寿の神・家内安全、厄除けの神

 事解之男命(ことさかのおみこと)物事を解決する神



●境内末社

 香良洲神社 祭神 稚日女命(わかひるめのみこと) 女性の守護神


 多賀社 祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 生命の祖神・延命長寿の神

 多賀社 祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと) 生命の祖神・延命長寿の神


 津島社 祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと) 疫病除の守護神


 山神社 祭神 大山衹神(おおやまつみのかみ) 農耕・海上交通の守護神


 御嶽社 祭神 大己貴命(おおなむちのみこと) 病気、災害除の神・福の神

 御嶽社 祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと) 医療・医薬、酒造の神


 愛宕社 祭神 軻遇突智命(かぐつちのみこと) 農耕の守護神・防火、鎮火の神

 

神社の歴史

一、 徳川家康征夷大将軍となる「奉修復熊野権現村中安全所、慶長八年(1603)卯正月吉日、称宜久能久左ェ門(社人二代目)裕成」(これが現存する最古棟札で三百九十五年前のものである)
二、  「奉造立当社本殿本地中雍天慶長拾(1605)大勝、木工者藤原久蔵当所」(年号は字が消えており確認できない。
三、 「奉葦替熊野権現…寛永十五年(1638)四月吉日社人久野出羽守季広(社人三代目)庄屋久野与八郎祐吉葦師熱田彦右ェ門(以下略)」
四、 「奉建立熊野三社大権現宝永六年(1709)五月弥宜久野宮太夫、願主久野清兵衛棟梁杉江忠右ェ門(以下略)」
五、 「奉修理熊野三所権現元文三年(1738)十一月神主久野宮太夫大工久野与八郎(外一名)庄屋久野清平(注…八代目久野清兵衛、外一名)」
六、 奉修復熊野三社宮……天明元年(1781)六月神主祠官久野市正藤原臘之(社人八代目)、屋久野清兵衛(外三人略)、組頭久野升大工早川平吉實葦梁彦蔵(外四人略)」
七、 奉修復熊野三社宮……天明元年(1781)六月神主祠官久野市正藤原臘之(社人八代目)、屋久野清兵衛(外三人略)、組頭久野升大工早川平吉實葦梁彦蔵(外四人略)
八、 「奉造栄熊野三社三社宮……享和元年(1801)二月神主久野市正藤原臘(社人9代目)庄屋久野清兵衛義郡(外一人略)組頭久野升右衛門(外二人略)大工早川平助葦師伊藤源四郎(外五人略)」
九、 「奉造営熊野三社宮…文政三年(1820)六月神主久野宮太夫(社人九代目)直寛 庄屋久野清兵衛(外一人略)組頭久野増右衛門(外一人略)大工平助、葦師加藤市蔵(外六人略)」
十、 奉謹遷熊野三社権現…文久三年(1863)久野但馬藤原光道(社人十代目)庄屋久野清兵衛(ほか 三人略)棟梁早川平蔵吉置
十一、 「奉葦替熊野三社…明治十三年(1880)五月祠宮森嶋春樹詞掌阿知和秀穂、戸長高津鐘三郎、筆生高津吉三郎(外一人略)大工早川平三郎(外一人略)葦師石野柳吉(外一人略)」
十二、 「奉改造熊野熊野三社御本社一宇明治二十八年(1895)社掌阿知和秀穂、氏子総氏牧野熊蔵、改造委員久野浅右衛門義徳(外四人略)棟梁早川平吉(外十一人略)葦師石野柳吉(外銅工、石工、木挽四人略)」
十三、 「奉修復熊野神社御本殿、昭和十九年(1944)社掌伴野栄氏子総代高津元治(外二人略)、工事担当魚津工務店」
十四、 「奉葦替銅板熊野神社御本殿、昭和五十四年(1979)四月、宮司伴野万米男、氏子総代久野半三助(外八人略)施工宮義代」

以上の外、棟札の見当たらないもので、享保三年(1718)の古記録の覚書をもここへあわせおく。

十五、 (古文書覚書の内容)
享保三年(1718)熊野三社宮葦替、葦師伊藤孫四郎、板代、年間代共金十二両一分、仕上共葦師五十四人、仮宮から遷宮、社人二人、神役三十人程で御輿と 道具持を勤めた。酒二樽披露。この折総計金十六両二分十二匁六分六厘。うち二両は村方より寄進十四両二分十六匁六厘は宮太夫(社人)祖父からの分で支払った。

 

 

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熊野神社(クマノジンジャ)
〒477-0032
愛知県東海市加木屋町宮ノ脇43
営業時間 08:00~16:00 年中無休
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祈願受付いたします。
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半田街道、白拍子交差点越えてすぐ右折、つきあたり
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